食べ残したくない。

食に関する学びの歴史と記憶、メモ。そして食べてきた者たちの記録。要は食べ物だけのことを書き続けるブログです。食べ残し、いくない。

カップヌードル誕生秘話"「魔法のラーメン 82億食の奇跡」~カップめん・どん底からの逆転劇 起死回生の突破口"

koboには何冊かプロジェクトX関連の本があるのですが、

今回はカップヌードルの誕生秘話を読みました。

「魔法のラーメン 82億食の奇跡」~カップめん・どん底からの逆転劇 起死回生の突破口という名前の本です。

 

個人的にこの手の話は大好きなので、

ある程度知っているであろうと思っていたら、

案外知らない話が多くってためになりました。

以下、気になるポイントメモ。

 

・昭和33年、日清食品チキンラーメンを発売。

インスタントラーメンの世界をリードしていた。

 

チキンラーメンを最初の商品にしたきっかけは、

社長の息子が鶏肉を食べないのに、鶏がらスープは好んで飲み、

チキンスープは誰でも大好きな味と考えたため。

*のちに海外進出した際に宗教的に牛・豚がNGな場合はあっても、

*鶏肉を食べない人はどこにもいなかったのにも助けられている。

 

チキンラーメン爆発のきっかけの一つはダイエー。

ダイエーの特売の目玉はチキンラーメンと卵。

民営テレビもはじまり、積極的にコマーシャル活用と、

番組提供を行ったことも要因。

 

日清食品はリーダーとなるも、値引き合戦に巻き込まれる。

昭和40年には競合が「およそ360社に達した」と記録にある。

昭和38年には一袋35円の希望小売価格が30円となり、

実勢価格は25円が大半に。なかには19円、15円、9円という破格商品も。

 

・大変な競合環境の中粗悪な商品も生まれ、

インスタントラーメンのイメージが低下。

体力のないメーカーは100社近くが倒産、もしくは倒産寸前に。

日清も苦戦を強いられ夏の間ボーナス4割カット。

1100人の従業員は800人に。

 

・苦しい中のちにカップヌードルを作ることとなるプロジェクトが始まる。

きっかけは安藤のアメリカ出張。

アメリカに行った際にどんぶりがなく、

紙コップにチキンラーメンを砕いて入れているのを見て。

また帰りの飛行機の中で見た、

マカデミアナッツを入れた小さなアルミ容器もヒントのきっかけに。

 

・プロジェクトは主に麺づくり、容器づくり、具材づくりの3つ。

麺づくりの難しさは、分厚い塊の麺の内側にまでどう火を通すか。

容器づくりは専門メーカーに頼って開発。

具の開発は当時の新技術フリーズドライを使って開発。

高級感を出すために具にエビを入れることにこだわった。

 

*後半は売り方のお話になるので割愛。

 

といったところで、

いつもあんなに手軽に食べているものが、

こんな苦労の結果生み出されたものなのだと改めて勉強になりました。

インスタントということでイメージが悪い部分もあるけれど、

非常食として活躍する日本を代表する食べ物であると再認識でき、

なんだか誇らしい気分になったのでした。