食べ残したくない。

食に関する学びの歴史と記憶、メモ。そして食べてきた者たちの記録。要は食べ物だけのことを書き続けるブログです。食べ残し、いくない。

フグは縄文時代から食べられ続けている歴史の古い食べ物なのです。

味いちもんめ」の第一巻でフグを盗まれるエピソードがあり、

笑いながら読んでいたのだけど、

そもそもフグのこともあまり知らないな、と思い調べてみた。

いつも通りwikipedia中心ですが、今回は歴史編のみピックアップ。

 

まず驚いたのはこの記述。

2300年前に記された中国の『山海経』にはフグを食べると死ぬとの記載がある。一方、2000年前の日本の貝塚からはフグの骨が発見されており縄文時代から食用にされていたと考えられている。

えー、縄文時代から!

先日「イカは縄文時代から少なくとも5000年以上食べられ続けているようだ。」と書いたように、イカに続き、まさかのフグまで縄文時代なのである。

イカは北海道・青森付近で出土しているようだがフグはどうなのか。

検索して探してみたところ、石川県のページに

ふぐと人の関わり」というページがあり、そこには

千葉県、山口県など日本各地の縄文時代の遺跡からふぐの骨が出土、当時の人々が食していたと推測される。

とのこと。イカとは地域が違うのかな。

せっかくなので千葉の貝塚で調べてみたら、

姥山貝塚(うばやまかいづか)のwikipediaページにこんなことが。

この住居跡からはフグの骨も発掘されており、ここの住人たちはフグを食べて中毒死したとする説もあるが、詳細は不明である。

人骨と一緒に見つかっているため、

ふぐを食べて死んでしまった家族、という説もあるそうで。。。

 

ということでわりと日本各地で食べられていたふぐですが、

食べることを禁止されていた歴史もあります。

またwikipediaから引用です。

豊臣政権下の時代に行われた朝鮮出兵の際、兵士にフグによる中毒が続出したため、豊臣秀吉はフグ食禁止令を命じた。徳川氏に政権が変わった後にも、武家では「主家に捧げなければならない命を、己の食い意地で命を落とした輩」として、当主がフグ毒で死んだ場合には家名断絶等の厳しい対応がなされたという。

日本の食肉の歴史にも関わる秀吉&家康は、

ここでもまた歴史を変えちゃっているのね。

食肉の話は「日本人の肉食の歴史」に書いたのですが、

彼らは政治的・宗教的理由から肉食を禁止した人物なのです。

肉食の忌避しはじめたのは近世から。16世紀後半に南蛮人がキリスト教徒共に肉食文化を持ち込んだ。キリスト教の伝道と並行して肉食習慣が国内へ浸透することを恐れ、秀吉、家康は牛馬屠畜と肉食をご法度にした。

 話がそれましたが、その二人コンビが、フグも禁止した、と。

とはいえ、フグは江戸時代に庶民の間で広く食べられたそうで、

もしかしたらあんまり影響はなかったのかもしれません。

 

で、そんなフグが山口県と深い結びつきを持ったのは、

フグ禁止時代に「山口県のみが唯一調理を許されたから」だそうです。

wikipediaにもそんな記載が。

明治政府も1882年(明治15年)に河豚を食べた者を拘置・科料に処する法令を出した。しかし、その後、下関でフグを食した伊藤博文がそのうまさに感心し(諸説あり)、山口県のみでのフグ食を解禁した。その後フグ食の文化は山口県を中心に全国でも復活し、今日に至っている。

ここにかかれてはおりませんが、

そのお店こそ今もふぐ料理で名高い「春帆楼」だそうです。

何か書いていたら行きたくなってきたので、

東京店のランチにでも今度行って来ようと思います。